人類の限界

人類の科学発展には限界がない、 やがて人類は生物までも作り出せるか?

地球上の動物は、すべて有機物をエネルギー源にしている。 その有機物は特殊な自然条件を
別にすれば生物で作られるのである。
人がいくら科学が発展しようが、生物である以上エネルギー源やタンパク質を他の生物から取得する。
従って、人間単独では生存できないのである。
(植物は有機物が無くても生存できる。)

人は、自然環境から隔離できる能力を有する。故に、酷寒から灼熱の砂漠にまで広く分布できている。
他の生物を改良しそのような環境でも生産できるよう科学を発展させた。

何故
人間がそのような能力を持っているかは二つの解釈が可能である。

1. 進化の過程で大脳を発達させ、よりよい環境を作れる能力を得た。
2. 人間は神に似せて創られたので物事を創造する能力を与えられた。
   (宗教的な解釈であるが、現在否定も肯定もできない。)


この二つの解釈は相反する様に思われる。
1.の条件を過大に解釈すれば、人間の能力には限界が無くやがて、大昔自然にできた生物
さえ、人間の能力で造りうるのである。 

だが、現在生物を造り出すことはできない。 その糸口さえ見つかっていない。
生物のDNA等は操作できるが、生物そのものを造ることはできていない。

2。の条件、つまり宗教的な解釈であるが、これによると、生物のすべては神様が
造ったとされ、人間の能力ではできないのである。 人間ができる範囲は物質を利用した
創造に限定される。

人間は現在科学的という迷信におぼれており、ミクロな成功に酔いしれている。
人間に生物を造ることができないと言う事実と死とは何か?等から遠ざかろうとしている。

確かにDNA操作や、体外受精等はできるが、生物を操っただけであり、少々
変形したに過ぎない。 簡単なDNAでさえ作れないのが現状である。

宗教人も昔作られた教典を後生大事にひっさげているだけで、自然の法則をある程度
知った現在の人間に何も知らなかった太古の人々と同じ表現は通じないのが道理である。

論理的に言うなら、人間に生物は作れないのあり、片や自然にできたとも証明できない
のであれば、誰かが造ったと解釈すべきなのであるが、宗教的には認めていても
例のダーウインの進化論の科学的であるという迷信から抜け出せないでいる。
進化論は私にとって科学とは言い難い。 壮大な時の流れで
偶然そうなったとしか思えない。 進化ではなく偶然と言い直してほしい。

全く非科学的である。 仮説として神様が造ったとしておいても何ら問題はない。
神様というと抵抗がある場合は、
生物の構成は、物質と非物質が必要で、非物質は未だ発見できない
x(エックス)としても良い。
つまり生物は

生物の生成論理(仮説)
生物 L 物質 M  非物質 
x  とすると、

  L1 =M + 
x  (最初の生物)
  L2 =M + L1  (以後の生物 ネズミ算方式で繋がる)

   生命の誕生時のみ
 x が必要でその後は繁殖する。
   進化(突然変異)の課程では 
x は必要ない。
   宇宙も同様で真空の一点にエネルギーが入り込むと大爆発になり、物質が
   生まれたが、どこの誰がそんなエネルギーを注ぎ込んだか不明である。


この
を科学が見つけられない限りにおいて、人間は他の生物と同等であり
運命をともにするのである。  人間の限界はここに集約されることとなり、神様の
ご加護を必要とする。

もし、それが悔しくて、「神様など居ない。」と言っても始まらない。
神様か
「x」を否定したいのなら、生物を造らなければ成らないが、それで十分ではない。
その次の難問は「物質」
(または素粒子)はどうしてできたかを証明しなくては成らない。
理屈では大凡のことが分かっているが、宇宙の始まりのビックバンにしろ
真空の一点でのほんのわずかなエネルギーの揺らぎ等風も吹かない真空いや、空間もない
一点で何故そんなことがおきたのか分かるはずもない。


つまり、人間は何でも可能であるが、唯一生物だけは作り出せない。
人工知能は勿論、単細胞生物でさえ作れないのである。

もし、人間に生物そのもを作りだすことができたとしたら そのとき
神様は死んだと言える。 
そんな時代は来ないと思うが、私にも分からない。


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人間の科学は神の存在を証明してしまった!?

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