政教分離?

民主主義の基本原則が、この政教分離と思われているが、
さにあらん
かの民主主義の代表選手であるアメリカでは、大統領が聖書
(今は憲法にする場合がありだが内容はキリスト教の教義に従ったものだ)
に手をのせて
「国民のために、アメリカのために」 と誓うのである。
間違いなくアメリカはプロテスタント(新教:キリスト教の一派)の国である。
その教典の一部が民主主義という呪文なのである。

基本的人権からして、キリスト教から派生した言葉である。

わが、日本においては、聖書が抜けて民主主義成る言葉だけが憲法に
盛り込まれているので、法律も道徳も矛盾し戦後混乱しているのである。


民(たみ)がお集まりし
多数決で決めること、それが民主主義と勘違いし、現在に
至るのである。

イスラム国家の樹立を、日本人の多くは宗教的な政府は良くないと思うはずである。
しかし、アメリカの大統領が聖書に手をのせて、誓うことに問題は感じない。

アメリカは未だにワスプ(白人、プロテスタント)の国である。

もし、本当に民が中心の国家を作ったとすると 民が決めたことは絶対であるから
西洋のキリスト教的な常識は全く通用しない。
それが、共産主義や社会主義とよばれるモノなのでる。
ただ、どちらにしろ、民の意見をすべて聞き入れたモノには成っていない。
不可能だからである。

だが、恐ろしいのは
元来、民が決める、決めごとには全く限界がない、
何でもありで方向性は全く予測できない。

しかし、宗教的な制約がある場合は
ある程度の限界が生じる。  それは教典が存在するからである。
教典の解釈は日々変わるが、教祖様にお布施をしても今ではお題目のへんこう、修正は
不可能。

教祖様はとうの昔に亡くなられているからである。
仏教、キリスト、イスラム、ユダヤ教すべてその限界が生じる。
新興宗教はこの限りではない。  おそらくお布施をたくさん差し出せば変更可能なのであろう。
と思うが、よくわからないと、しておく。
一方
現在の共産主義、社会主義は宗教にかかわらず、教典が無いので、単なる独裁政治になる
運命である、それは短い 歴史が物語たているように思う。

西洋諸国が、イスラム教国家に対して、民主主義国家へと誘導することは
キリスト教に改宗せよと言っているに等しい、と思われるが違っているだろうか?

その国の人たちが、強く、イスラムの価値観を持っているなら、イスラムの民の民主主義
もあっても良いのではないかと思うのである。

戦後、今の日本のような混乱を避けるために、である。

PS・
断っておくが、小生は、こよなくキリスト教の教典を愛し、信じていることを明言しておく。

つたない文章で勉強不足である。 

お読み頂いた方に感謝する。


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裁判所長官が聖書を支え、
左手を聖書に置き宣誓する。
「貴方の神に誓って・・・・・・」
アメリカ大統領はキリスト教の
神様に誓うのであり、他の宗教
ではない。