救うべきは誰か?

救助できる立場のあなた、私・・・・・・・・・・・・・・。

その時
私、あなたも誰をうべきなのだろうか????


私たちは、物質の世界に生きている。
勿論、霊魂のせかいではないのであります。
つまり、物理法則の世界にいるので、どんな移動にも、行動にも時間的な制約は否定できない。
従って、救うべきは時間的には制約が存在します。

となれば、すぐそこで、見しらぬ人が溺れている、または血を流して倒れている。
しかし、家では子供が、または母親が危篤。
さて??
あなたは、どう行動されるのであろうか????
地球の物理的な世界に居住するあなたはの選択肢は限られています。
つまり、可能なのは 時間的な制約の範囲なのであります。

これが基本的な物理法則であり人間の選択肢だ。

勿論この問題に宗教的な判断は教典としてあります。
だが、

すべての命は平等 つまり、神様か、いわしの頭かわかりませんが、何らかの
意志によって生まれ出でし命は自らの意志によらない。

人の中に自らの意志によって誕生してといわれているはキリスト以外は無いと
記憶していますが 
それはとにかく・・・・・・・・・・・。

小生も、かなりの部分でキリスト教的意識がありますが、救助の精神においては
仏教の経典が明確に判断しています。
読者の皆様が検索することを 期待します。

私たちは、肉体を持った物理的存在なので多くの制約を受けなければなりません。
その制約、苦痛があるために苦悩があります。

だけれど、その立場が理解できれば肉体的な苦痛はむしろ パラダイスの入り口を
示すものです。
勿論仏教では解脱です。

面倒な話はともかく、困っている人がいれば、すぐそばの人から救うこれが
物理世界、つまり現世に生きている人の行いなのです。

遠くの国にいる 困ってる方々もいらっしゃるだろうが、なにはさておき、近隣の同胞を救うのが
人として最も理にかなった選択であります。
その上で初めて他の方々に救いをさしのべることが可能になるのです。

遠くの国にいるパンダなどは さらにそのつぎです。
どのような判断基準をされているかわかりませんが、この国のマスコミやNPO等の多くは
貧困者がいるにもかかわらず  遠方の方々を救うことを 真っ先に考えるのは
理解できない。

もっとわからないのは自然保護の名の下に暴力行為を行うかたがたであります。
情報過多の現代においては、自己認識欲が強くなり、自己存在の主張をより強く表現しなくては
人間(人ではなく)として自我の確立が不足する強迫観念にさいなまれている様です。

 私も含め、皆様におかれましは、それらの多くの情報の中に埋没させられる脅迫感
に惑わされることなく 人間は自然の中から生まれ その法則に逆らうことなく
安泰な心を持てるよう 日々 考えたいものです。

そのように努力したいものです。




























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