日本人には哲学は合わない

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ギリシャ プラトンの時代以降 境に西洋の哲学(philosophy)は大きく変身した。
それは、宗教が哲学を利用したためではと疑っている。
物事の証明にはこの手法が非常に有効であったからである。

さて?
哲学はギリシャ神学からの派生で当時は八百万の神々が存在したのである。
しかしキリスト教がこの手法を用いて哲学化され 新約聖書はポール(パウロ)
によって芸術品の域に達した経典になったのである。
そして
政治的に利用しやすい内容からキリスト教は
普及し西洋では一神教が正当とされ、多神教は邪教 果ては悪魔の教えと
なりはてた。
神様と言えばモーゼの言う神「 ヤハウエ 」おひとりとなった。

したがって、哲学で言うところの形而上の超自然的な人間の能力はすべてこの
神様からの授かりものとされるようになった。

面倒な話はともかく
人間が生まれながらに持っている能力はこの神様からのいただきもので、他の神様か
らの物は悪魔からのものとなる。 
(極端だが) 
  ニーチェ先生はそんなものありゃせん と言って奴は死んだといった。
  (罰当たりですな)
だが日本においては人間は自然の中の一部ので自然を構成する要素であって
自然を支配する立場にはないのである。

簡単に言うならば 判断基準は
西洋は  人間から見たら自然(すべての物)はどう見えるか?
       そしてどうするか。

日本人  神様から見たら人間はどう見えるか(神様は自然なのである)
      神様ならどうするか?

西洋は人間理論で志向するが日本人は自然志向である。
西洋は人間志向であるから民主主義なるものが派生するが、日本ではそうはならない
八百万の神様がいるので簡単に物事は決められない。
すべて全員賛成以外ない。
どちらが良いかは小生にはわからんが 小生は日本人である。

つまり、日本人(小生の世代)には一神教の哲学は心からの理解は不可能なのである。
ちなみに 私たちと同じような自然感はスピノザ という哲学者が近いそうだが
小生は知らない。

キリスト教も元は同じ自然崇拝だったはずだがいつのまにか変質してしまい
時代とともに自然を人の所有物に変えてしまったようだ。 残念である。









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