死することとはVer4

世界の宗教を別にすると、日本には 神道(しんとう) という古来からの染みついて宗教観というか
文化がある。

日本の太古からある文化は今でも、日本人に潜在し、切り離すことができない。

一神教の文化圏から見ると信じられない。
日本ではキリスト、仏陀、マホメット、大黒様など全て神様と扱う。
外国の神様の布教が会っても全く動じない。
神様の一員におなりいただくのである。   
キリスト教が嫌われたのは、宣教師が人身売買を日本で行ったからである。
これは史実にもあり確認されていることである。
それはさておき、

神道で最高の極みは 
むすひ(産霊) 「 生きる物全てが幸せに 暮らす。 」 ことにある。
 (単一民族ではなく、全てのいきもの  この思想は世界的にも珍しい。)

従って、人を憎む、嫌う等はそのムスヒ に反することであって、存在してはいけない。

勿論、他国で信じられている神様といえども忌避しては成らない。
つまり、全てのものは仲良くしなくては成らないのである。

この考えが 例の 「和を持って・・・・・・・・・・・・・・・。」 につながる何千年も続いてきた
日本人の基本的な考え方である。

この話は少々長くなるので、しませんが、日本人なら 「そうか。」 と簡単に理解できることでしょう。
外人には難しいでしょうが・・・・・・・・・・・・・・。

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神道での死とは

昨今、戦犯の問題や靖国神社の問題を近隣の政府が騒ぎ立てていますが、
これは、その政府が外敵を創造し、脅威として利用しているにすぎず、
恐らく それらの政府の教育を受けた要人は十分すぎるほど知っていることです。

政治的いみにおいて、
未教育の人間の多い国では政府自体が成り立たない問題を
抱えているからにすぎないのです。

日本の文化は何千年もの昔からあるもので宗教より上位のもですから
変えられません。これを否定されれば、話し合いの余地はありません。 

民度の低い国がエスカレートし、
私たちが皆殺しにされる前に何らかの手を打つ必要があります。


さて、 民度の低い国の要人も理解していることとは?
日本文化、神道 では

「人は全て死ねば神の国に行く、そして私たちの幸福のために尽くしてくれる。」
(人知でいかんともし難い天然は神の支配する分野で魂の国の管轄。
      神様はむすひの実現のために尽くしてくれている。)

生前どんな悪いことをした人間でも、死ねば神の国に行き神様と同じ存在に成ると言うことです。

ちょっと考えてみれば分かることですが、死んでしまった者は悪さがもうできません。
いつまでも恨んでいたところで仕返しなど不可能なのです。
それを家族、一族郎党に向けても意味のないことどころか、また問題を肥大化、複雑化する
だけで何の足しにも成りません。

「死んだ人は、全て神の国(霊魂)の世界に行く、たまに輪廻する場合もある。」

と言うことになります。

この世は現実の世界と神の世界(霊魂)でバランスして成り立つものなのです。
対極図がその思想を表しています。

蛇足 ですが。
神道の世界では、怨霊や幽霊など存在しません。
また、死ぬことは神の国に行って幸せに暮らすことを意味するのでお祭りなので
仏教のように死者のための祈りなどありません。

成仏するための供養など不必要、祭らなければ怒って雨を、いや台風をそらさず
屋根のかわらをとばすかもしれない程度なのです。

皆様においても
この崇高な 精神  「むすひ(産霊)」の精神をお忘れ無く日々過ごされることを切に
祈り この頁を閉じたいと思います。

参考
この精神はキリスト教の精神と同一 博愛にもつながります。
ただ、一部のキリスト教信者の勝手な聖書解釈で、人身売買、人殺しなど過去において
行われました。残念でなりません。
宗教というのは ちょっと解釈を誤ると とんでもない事になるのであります。
その基本に やはり 愛 i (複素数) が無ければ無意味なのであります。


















所詮、人の書いた文章等はいい加減なモノである。勿論小生のこの文章も、である。
 内容全てを信じるに値しないのである。また、信じてもいけないのである。
 以下はTVと違い 事実見せることはできない だが、真実を 不思議にも 小説同様 
 語れるかもしれないと、本人は思うのである。

情報は事実を伝えるが 真実を 伝えない 困ったモノだ!

以下 本題で

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