日本の民主主義とは
本当の民主主義とは一体何?

実は日本の民主主義の歴史は2000年にのぼる歴史が
あった。
「 和をもって尊しとなす。 」
この理念は、民主主義の基本理念ある。
他方、西欧の民主主義は真理に基づいた人民による人民の政治:統治なのである。
真理に基づいた判断は神から祝福され正しい判断とされる。
判断の材料の中心は神から与えられた真理だけである。 反対意見は神に背くことになる。
真理は神から与えられたもので、人が勉強して得た物ではない。
従って、何処にあるか不明の真理を論理的に証明する知識や弁論が要求され議論が行われる。
真理を証明できた者が正しいと判断されるが、その中心となるものは
一神教の教典なのである。
そんな意味において、真理が生まれながらに、神から与えられたと言うことに疑問を
感じ、否定したのがニーチェでは無かろうか?
そして「すでに神は死んでいる。」という名言を吐いたのだろう?
だが、和を持って・・・も真理による判断であっても、
結局は人民の判断なのであって、神様がその判断に関わることはない。
日本には太古の昔から、多くの神様がいて、神様によって真理に違いがある。
戦後 西洋の真理を求める民主主義の神様が強制され矛盾が生じた。
漠然とした違和感が多くの方々に感じられるのは当然である。
結局のところ、多数決という民主主義とは似ても似つかぬ手段のみが浮かびあがり
お金を神様として拝む資本主義に傾斜していくが、これは日本に限らず他の
発展途上国も同様なのである。
民主主義の大原則は、誰も知らない神様の真理ではない。 ましてや多数決でもない。
何方でも納得する決断である。
物事によっては、大変な作業であるが、できるかぎり原則に近づける努力を
今までの日本は、してきたはずある。
西洋民主主義的論理の中心をなす真理はアヘン、薬(資本主義)と同様で
知識人には魅力的でありマヤクである。 この酔いは覚めることを知らない。
一握りのマスコミや、知識人が言うところの民主主義には
利己のため、偽りの真理を証明するため、詭弁(きべん)や知識による欺瞞、情報の操作
が見え隠れしていて違和感を覚えとる。 同時に不快である。
年寄りのひがみであろうか?
とにかく、どうするかは一般市民の判断であるから、結果の責任は私たちに
有ると言うことなのであるし、これからもそうである。
だまされて決断しても、神様が許してくれることは無い。
---------民主政治のトドのつまり----------------------------------
人間のすることはあまり進化しないらしい。
紀元前のプラトン様がすでに社会循環の方程式を作成されている。それによると
「 最優秀名誉(戦時の優れた能力者)政治 → 寡頭(かとう:独裁)政治
→ 僭王政治(せんおう:王様なりすまし。
→ 民主政治 → 僭王政治? 」
人の命というものは限界があり、いくら優秀な方でもいつの日にかお亡くなりになります。
すると、その周囲にいらっしゃる方々が 利権確保のための政治体制をおつくりあそばします。
その熟れの果(腐れきった)に民主政治がアリます。
つまり、最終段階の政治体制が民主主義であり、これが終了すると カオス(混沌)
に落ち込み混乱の時代が始まるのかもしれません。
自由主義が行き過ぎて無政府状態となりまた、元に戻るといった循環なのだそうである。
この事例はあまりにも歴史にありすぎてごく当然で気がつかないことがある。
しかし、それが わかっているのに防げない人間という生き物も、実に進歩がない。
猫や犬に馬鹿にされそうである。
プラトン様 (ソクラテスに言わせているが) はこの輪廻からの脱出は
真の哲学者 (徳を持った。) が政治を行わない限り解脱できないそうである。
果てさて、真に徳のある方がこの日本、いや、世界にいらっしゃるのであろうか?
どこかにいらっしゃるのであれば なんとかしていただきたいものであるが
さて、学問も無い、時間もない小生には皆目見当もつきません。
ただ、小生が生存しているあいだは、 今の政治体制が変わることなきよう
また、年金が止まることのないように 祈ること以外できそうにないが。
みなさまにおかれましては、どうぞ、徳を積むか、徳のある方を探しだし
より良き世界になるよう 真剣に努力されるように願うばかりであります。
ちょうど時間となりました。 おあとがよろしいようで! またのおこしを。
そこに、多数決の意味はない。
全て決めごとは全員一致が原則、一人でも反対が有ってはいけない。
従って、根回しが最も重要な方策となる。
事前に意見を聞き、納得いく決めごとにしていく知恵を太古の昔から知っていたのです。
そこには、神様も、仏様も無関係である。 一神教の文化をもつ諸外国から見ると
真理が一体何処にあるか分からないのである。 方向が見いだしにくいのである。
狭い日本でさえ地域文化(慣習)の違いは歴然とある。
何かの決め事を多数決で決めたのでは遺恨を残し
将来大きな戦に成る可能性を残す。 それを避けるのは、全員一致以外無いのである。
そのための根回しを、日本人は染みついた歴史から会得しているのである。
反面、役人は任されたと思いこむ習慣と、役所の決め事はそうして決まったと思いこむ習慣
も身に付いてしまった。
西洋的な民主主義が最も優れた政治体型などと思ってはいけない。
それは衆愚政治とも言われる。
かの、プラトンは 徳のない政治家による統治はいずれにしろ
ろくなモノではなく、いずれ僭主制に堕落するとしている。
つまり何の志や、徳を待たぬ愚かな民衆が束になって国を指導しても、結果は
明確である。 結局 金で操られることになり 裕福な人間が国王になりすまし
金持ちのためにのみ国を操ることになろう。 多数決はその操作に利用されるのであり、
もちろん、愚かな大衆は目の前のニンジン(金、利権)に釣られるからである。
(プラトンの対話集 国家から。)
そのような例が当時(紀元前400年)もあったのであろうし、今も変わらずなのである。
今の日本は????。
反対語は寡頭(かとう)政治または独裁政治と呼ばれる。
北朝鮮はこれを僭主(せんしゅ:主人になりすます。)政治に持ち込みたい
らしいが?
とにかく、
多数決は民主主義とは無関係 選挙等はとんでもない民主主義の
最大の誤りであろう。



ミネルバ
