法の下の平等は無い!?

戻る

法律はすべての民に平等に作用する。
法治国家の大原則である。

しかし、現実にはまったく このお題目は意味をなしていないのである。
さて、なぜなのだろうか??
      科学的(非情緒) に検証します。


法律も、科学も出発点は同一の哲学から派生しています。
(そうでないともいわれるが、近代的な法律はおそらく哲学を基礎にしている
 と思われる。)

法律自体に問題があるのではない。 法律は必要に迫られて作られたもので、それ自体は
無くては困るのである。
さてそれでは?


簡単にご説明するには、ケインズ (経済学者様) に登場いただく。

ケインズ様は自由主義経済の先生様でありますし、いまだに多くの国はこの先生の
経済学を信奉されていますし、多くの国家もこの先生の理論通りに運営されています。

先生理論で最も有名な、
      「市場の見えざる手」
           という お言葉があります。    この見えざる手によって
市場は供給が多ければ値段が下がり、需要が多ければ価格が上がり、その作用の連鎖で市場は
ほっといても安定する。
  といったもので、その需要と供給のバランスが見えざる手ということらしい。

しかし、残念ながら、会社が一社だったり、情報が操作されていればこの理屈は成り立たない。
そこに政府の、厄介な手 である法律が規制しだすのである。
そうしてどうやらこうやら、商売においてはいくらかマシな状況を現在作り出した現世である。

法律に関して、

これは知っているのと知らないことは決定的な差が出るのである。
一般人は、この法律について知らないと言っていいだろう。  そこで弁護士なるもの
に依頼をする。  しかし、弁護士といえどもすべて知る由もなく、結局弁護団となる。

大金持ちや、大企業は別として、弁護団など貧乏人にとっては全くのところ無関係である。
彼らは
法律の重箱のすみをつつきまわし、大金持ちを有利に持っていくのである。
明らかに、ハンディがある。 
それが現実で いくら現代の裁判官が大岡越前でも法律を曲げるわけにはいかない。

このハンディキャップを埋めるべき手段がない限り、貧乏人は裁判などしないほうがよろしい
ということになる。 

 さて、この現実の世界には法の下の平等など、
夢物語であるから、貧乏年金受給者は 間違っても裁判などに 首を突っ込まないほうが
よろし。

ついでに 蛇足
「人はすべて平等」 についても同様  
この言葉は、聖書からきている言葉で、基本的人権の象徴だが

間違わないでほしい、 この語句の前に次の言葉が 付くのである。

「神の下で・・・・・・」 であるから、この世の話ではない。 悪しからず。

ちょうど時間となりました    おあとがよろしいようで。 またのおこしを。