サイコロの出る目の確率はおおよそ1/6に近い値 
というlこと
は誰でも知っているが、
サイコロで常勝した人はいない。

競馬も同様である。

何故であろうか?

確率は、過去の多くのデーターを収集して初めて判明する。
というより それでやっと証明できるが
しかし、完全ではない。

未来の「ある瞬間」の予測には適応できないのである。
サイコロの次に出る目は予測不可能なのである。


一発勝負のリスク回避や、不労所得(博打)に応用する事はできない。
しかし、大金持ちなら別  何故なら確率に従う回数賭けることができるから
に他ならない。

確かに、対象とする個数(N数)が多いと大筋で当てはまるが
決して確率通りの解答に至ることは無い。 少しずつ計算値に近づくだけなのである。

数学的に表せるのあくまで無限に繰り返した場合のみであり
かつ、過去の結果の確率だけで未来の特定の瞬間は決定できない。

命を対象とすることはできない。 保険の計算の様に、
多くの命を対象にした場合は、損をしないで済む計算としては成り立つ。
賭としては、非常に不利な勝負を強いられるが、一個しか無い命なので
致し方無い。  小生も保険に入っている。

現実は数学とは違い、計算通りには絶対的、いや、絶対に合致しない。

それは、歴史と似ている。
確率は過去と未来の対話なのであって瞬間瞬間の現象を対象とする事は
できない。 
歴史の解釈も時代と共に変化するし、実際の確率もデーターと共に変化する。
かつ、完璧に計算値と一致しない。

だが、希望を捨ててはいけない。

天は私たちに可能性を与えてくれています。
それが、直感です。

しかし、その在処は誰も知りません。  どこにあるのか何時あるのか
誰が持っているのか?????

突然現れるこの直感を貴方は持っているのか?
はたまた、小生が持っているのか
長い時間の旅の果てに見つかるのか、苦行の果てに見つかるのか

今も、私たちは探し求めているはずなのだが  未だに見つからないのは
パンドラのツボの中に残されたままなのだろうか?


いや、そうではない
昔から、生まれたときから、
直感は誰でも持っている、気づかないのである。

大昔、

パンドラの壺は中国製であったために、底が割れていた、
よって、希望も直感もは、飛び出していたのである。
何故なら、時としてそれらのものは、体感されるからである。

だが、壺の底に開いた穴は小さく、ほんのわずかしか出ることはできなかった。
直感や希望君は、僅かばかりなので一生懸命世界を回っても、みんなに届きません。
だから
感じないのです。
いつか 必ず訪れる事に成っています。
その時、貴方は、希望の尻尾を離さないこと
そうすれば逃げません。

これは、確率ではありません。
希望の尻尾かどうかは、貴方の直感以外見分ける方法はありません。

直感は競馬の予想やサイコロの目当ての為に使えないのは そのためで
貴方の希望を叶える為にしか使えないのです。

心して 希望の尻尾を見分けることです。

小生はおそらく、希望は捕まえています。
何故ならこんな事が書けるからにほかなりません。

信じるも信じないも貴方次第だが

どちらが自分に利益に成るのか?  利益??
金ががっぽり入るのか??

その利益とは、極楽往生、成仏することにほかならないのであるが、
現世、娑婆世界の快楽につながることはない。

と、思われるが、貧乏人のひがみかもしれない。

お後がよろしいようで、
         ちょうど時間となりました。

         お粗末様










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確率と直感そして         パンドラの壺(箱)