科学の限界

一体科学には限界が存在するのであろうか?

物理学(素粒子)

今も、究極の素粒子、最も基本となる粒子とは何かを探し求めて
莫大な費用を使って世界中で研究がなされている。
常識では信じられないほどの高額で大きな加速器(電荷を持った粒子を加速)
を使った実験で陽子などをぶちこわし、陽子のパンツを脱がし中身を見る。
と言った実験である。
CERN LHA(高速加速器)は70億$ 日本は138億円出資

しかし、ある意味で、
大きな進展は無い。と言っていいだろう。
(庶民にとってNGだが富裕層
=大学の先生 にとってはGOOD )

もし、陽子の中の粒子を取り出したところで庶民には一切恩恵は無し
何方かの論文を証明するに過ぎない。 

結局のところ、膨大なエネルギーの粒子を他の粒子にぶつけると、エネルギーが
分散し分割されたエネルギーは物質として振る舞うから
そのうち、証明したい粒子は特定の実験結果にそうものが現れるのである。 
ただし自然界にない物なので超短命であろう。 つまり創作しているだけではないか?

科学で絶対に分からない、あるいは解明できないことが有ることを証明できればいいのだが
人の飽くなき欲望は金の世界だけではなく科学技術においても全くのところ
同様なのである。 どこかで歯止めをかけなければやがて取り返しの付かない結果を
招くことになるが、現在、その取り返しの付かない道に迷い込んでいるのかもしれない。

つまり、素粒子の構造が分かったところで貧困の差は無くならづ、大学の先生は
富裕層の仲間入りを続ける。

地震の研究に至ってはそのうち有るだろう程度で数千億円を費やしている。
その程度の予測なら過去の経験から分かるし、すぐに2位や三位になるスパコンなど
使わなくても予測できる。  信じられないぐらいの庶民の税金が使われるのであるが、
とにかく

ギリシャ科学の時代から発展してきた現代の科学は、西洋科学である。
基本は
原因、原理の探求にある。 哲学からの発展であるからそうなのである。

しかし、庶民は何時地震が有るか、何時食料が届くかが知りたい。
ある特定の現象の原因を探り、モデルを造るのはいいが
バタフライ効果は人知を越える存在なのである。 勿論カオス理論でも歯が立たない。
過去のデータを集めるのも良いが、
目的が原因探しでは
地震が何時起きる予想など何億年かかっても不明ままである。
原因はたった一羽のバタフライ(チョウチョ)なのであるから原因が分かったところで
その蝶を特定できず、はたまた予防はできない。

ならば、
直接的な現象を探し予知した後に原因を探すべきなのだが(東洋科学的に)
猫(天候)やナマズ(地震)にかなわない
のと、金にならないからやらない。

しかた無しに小生ごとき老骨が黒点と地震の関係など細々と調べる始末なのである。
モデル(理論)の美しさを求めるのはやめて見てはどうだろうかと思う。

現代の科学はすでに限界に達しているが、西洋科学信者の方々は
其れを認めたくはない。  何故なら 食うに困るからである。
それもまた、生存に関わる理由であるから、むげに拒否できないジレンマである。


<蛇足>
それだけの費用があったら
アフリカや世界の貧困をかなり救えるが、原爆を発明したごとくで一部の
気の狂った政治家に利用されるだけである。


生物学

DNAの研究が盛んになり、ほぼ思った通りのDNAの構成を造ることができると
思いこんでいる現状がある。
しかし、設計通りの構成にしてもうまく働かないことの方が多いのである。
DNAは四つの塩基TCGAの並び方だけと思っているようであるが、
実際はそれぞれの塩基に違いが有ることを忘れているのではないか。
これは新説でも何でもなく、それぞれの塩基の重さを量ればすぐにわかる。
どんな機械で計測しても全く同一のもは無い。
測定誤差や計測器の誤差として無視しているだけなのである。
この誤差は万物にある。  人間には計り得ないものの代表である。
科学者は無いことにするか?

さらに、ここまで生物の構造が分かったのであるなら、生物を作れるか?
バクテリアでもアメーバでも良いが、未だできない。
不可能なのである。 生物には人間が知り得ない「何か」が必要不可欠であり
それを人間が作ることはできない。

ひとができるのは改造や修理のみである。
その限界をわきまえなければ 物理学同様取り返しの付かない道に迷い込むことになる。
それらの限界を見極めるのも冷静な科学者の使命だが  
はたして  神を信じない 科学者が 気づく可能性は無い。
戦争や殺し合いの
宗教者の罪は重い、が、同じように科学は自然は機械仕掛けであるという
教義のもとにある宗教である。宗教であるから罪は同じく重い。

宗教によって、多くの戦争や、殺戮は今でも繰り返しているし、
科学が戦争を助長しているのも確かなことだ。

科学に、いや科学者に最もかけているのは測定できないモノを無いこととする
偏見 と分化し探求するときに起きる視野の狭窄(きょうさく)である。

それによって、宗教と同じ事を繰り返してきた。
       さてどれだけの科学者がその限界を知りうるか疑問であり
       、その可能性は薄いと言わなければならない。

 何故なら、同様な特質をもつ宗教の誤りは今も続いている、
科学は、宗教として、歴史が浅いだけなのであり これから最終稿に
進む運命なのかも知れない   と

      年寄りが心配するのである。

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西洋自然科学と東洋自然科学

サイコロの目当てと同じく科学は何物の未来をも確定できない。
人に握られているサイコロだけが思い通りできる唯一のものであるし、
手から離れたサイコロの目は貴方が死ぬまで転がし続けても、完全に均等に
各目の出る確率1/6には成らない。

科学の老化

人間の限界

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科学の限界 U

2017/07/19

科学の限界続編