老人になることの         幸せとは

プラトン

プラトンの対話集「国家」の冒頭に登場する、大富豪の老人ケパロスの話
(要約)


持ちで良かったことは、借りた物を返せたことと、若い頃のように
欲が亡くなったこと。
その恐ろしい欲という物がなくなったことは すばらしい自由を得たことだ。

勿論、プラトンがソクラテスから学んだことだろう。

確かに、若い頃(体が活発なころ)は 人は欲の固まりで、いくら修行しようが
学ぼうが これから 脱することは聖人以外はあり得ない。

しかし、三途の川を意識し出すと、徐々にまるで、高名な僧侶や聖人のごとく
欲を失い 悟れるようにナル方が多くなる。
(そうはならずに三途の川を渡っても消えない人もいる。)

老齢化はそのチャンスを与えてくれるのである。

その事実をチャンスととらえるか、はたまた、絶望ととらえるかで 人生の最後を
幸せに暮らすか、ガキ道に落ち込むか両極に分かれる。

人をこさえたのがお天道様か、神様か、鰯の頭かはわかりませんが、
生死をさまようような苦行難行、キリストのような磔(はりつけ)、お釈迦様の断食などの
苦しみを味あうこと無く、解脱、悟りの境地に達することが、いかにも
安易に得られる仕組みを用意 準備されていたとは 奇跡である。

そういう小生は、未だにスノボだ、サーフィンだどいう欲が消え失せないのは
まだ、本格的な老人ではなく、まだチャンスはこないのだろうか?

それとも、それが成仏の道なのか? まー、サーフィンも成仏の道であると
解釈すれば心安泰だが、さて そうなのであろうか??

とにかく、これは思い悩む 凡人であることには相違ない。
ならば、もうしばらく 歳を重ねれば と 期待に胸躍らせる 冬のあさである。

2014/12/08 jo7nli


















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