人には何故 芸術が必要なのか?

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誰もが、美しいモノは知っている。 教えられた知識としてである。
しかし、知られることが無かった芸術家の作品については全く
評価できないのである。

それは、まさに 美 と言うモノについて知識が無いのである。
また、音楽にについても同様である。

有名人は知っているが、無名の楽曲にあったとき
楽曲の美しさ、優雅さなど解析不能なのである。

美醜の初期の評価は知識が少し必要だが、
多くの人が良いと言う評価を鵜呑みにするだけでは理解できない。

それは、何も芸術の範囲にとどまらず、スポーツでも仕事でも同様である。

基本的な美だとか、技だとかは 知識と経験が無くては理解できないし、その実体を見つめることなど
不可能である。

しかし、何事でも、それを
極めることによってのみ 理解可能になるのである。
仏教でいうところの悟り (さとり) にも似た感性とも思われる。

ただし、プラトンなどは「 生まれながらの感受性は存在しうる。」 ( 想起説 ) 
と言っている。
だが、感受性を表現するには知識は最低限必要である。

勿論音楽でもよろし、経理でもよろし、商売でもよろし タダ単に金を稼ぐためという目的を
離れ、
本当の商売とは? 本当のスポーツとは? それらの究極的な目的とは?

理解しようとつとめ、人のために人のできること を することによってその自分がやろうとしていることの
実体が理解可能である。  と 昔の哲学者や宗教家が言っているという話しである。

また、日本の「道」がつく習い事の究極的な目的は この、本当に時や人によって
変化しないで実在している ものは何か すべての生きとし生けるものが幸せに暮らせる
様にすることとは何か を  理解するためにあると どなたかが言っていた。










田中 一村