戦争は無くならない?’’’

世界の覇権争い、つまり世界の支配者としての戦いは
すでに過去の物となった気がする。
しかし、民族間の戦い、文化と文明、宗教の戦争は増えた。
世界を一つの物と考えた時代は終演し多種多様な価値観の
衝突となった。
これは一体何を意味するのか?

世界大戦までは国の利益を確保するためのきっかけが主な理屈であったが、今は生存や、宗教の価値観
がその発端である。  経済的な理由などほんの一部であるから
悲惨な戦争になる。 それは相互に正義だからに他ならない。

旧約聖書の時代の戦争は神様の預言によってなされるのであるから、すべてが正義であるとされ、
皆殺し、勿論女子供を含め絶滅させることなど当然の事として行われた。
本来それが民族同士の戦いや宗教的な理由(預言)の戦いである。
白旗を振って降参しても決して生存を認めない、存在自体が神の意志に逆らうことに成るのある。
未だに国際ルールに則って戦争が行われると思ってる方々もいらっしゃる様であるが
そのルールは誰が守らせるのかを考えたことが無い方々なのであろう。
国連でも、アメリカでも決して守ってくれることはない。

先進国で基本的人権と言われる物はキリスト教的な発想であるから本来、信者のみ対象と思った方が
理解し安いであろう。 異教徒の人権を守るために自らの危険を冒さない。
ただし経済的な大きな利得が有る場合は別である。 アメリカでもロシアでもインドでも同じである。

これは他の宗教も同一であろうから、それが衝突したらいかなることになるかは明確である。
一国がもし宗教的な思想の元で管理されるとすれば、異教徒はお恵みで生かされているので
基本的な人権は公にできないが無視される。  これが現実である。
日本は外国からそのような侵略を受けていないので無頓着であるが、世界の常識は今や、お金ではなく
価値観、とりわけ宗教的な又は民族的な価値観が生きる糧に成っている。
そうなった理由も先進国の責任が大きい。 ここではその理由に触れない。

地政学的にみて、日本は天然のお堀を持つ国なので大軍が一挙に攻撃して皆殺し等というシナリオ
を書きにくい環境ではあるが、部分的に占領されると言った事はあり得る。
現実に竹島問題など好例なのである。

民族問題や価値観での戦争は国際的な判断など何の役にもたたない。
自らを守る意志と実行力以外に問題の解決はできない事となっているし、それが現実なのである。
守り抜いた上で国際的な判断を仰ぐのは良いが、皆殺しに成ってから国際的に非難されても死んだ者
は生き返らないのである。

宗教観も、民族意識も持たない学者様が国際平和を唱えている今より、冷戦時代の方が戦争は
少なかったし安全な時代だったとおもいませんか?

繰り返しますが覇権争いの時代は終わりました。 
自らを自らの意志と実力で守らなければ存在はあり得ないのが国であり民族なのですが、果てさて
このことに気づくこの国の人が何人いるのであろうか、はなはだ疑問に思えるのは小生だけであろうか。

国際的な全ての決めごとは、多数決ではない事を私たちは理解しているだろうか?
一国でも反対が有れば決めごとは意味をなさない、これが現実なのです。いくら戦争を非難しても
何の解決にも成らないことは過去の経験から理解できるであろう。

アメリカ一国が経済的な覇権を獲得したかのような錯覚に酔いしれた。
アメリカは経済の覇権イコール民族の
支配と勘違いして、やりたい放題の行動がついにはその経済までも破綻させてしまった。
西洋の戦争の哲学やルールは西洋だけのもので、他の地域では通用しないことをベトナムで体験したのでは
なかったのだろうか。
軍人と民間人の区別をした紳士的な戦争など存在しない。 民族や国民の価値観をも巻き込んだ戦争は
まさに必死の戦であるから、先に書いたように負ければ生存自体が無いのであるからなのである。
アメリカがそんな事になったのは自国を戦場にした経験の無さであろうか?
我が国においては一旦は玉砕したようなもので精神構造も変革して神の存在しない神の、いや
「紙」(証券・紙幣・表彰状)の国に成ってしまったようにも見えるが 本当のところはどうなのだろうか?

じっくり考えて見たいところです。

end

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戦争は止められない