ソクラテスの違った一面

ソクラテスは勇敢な戦士であった。

37歳でポテイダイアの包囲作戦 前432 
皮切りに38歳で 「ペロポネソス戦争」 さらに 45歳で 「デリオンの占領作戦」 に
出征している。

 重甲兵 として出征している。
 かぶと鎧に身を固め主に大将などを守る精鋭部隊と思われるが
 net では検索できず。

しかも、「デリオンの占領作戦」では アテネの武将ラケスは

「もし、他のモノもソクラテスとおなじ振る舞いをしたなら、我が軍はあのような
  負け方はしない。」 

とソクラテスの剛勇をたたえている。 そのほか武勇に関して歴史家の著述は多い
アルキビアデスは
ボテイダイアの作戦で アルキビアデスを救って 手柄を彼に譲った話は
プラトンの対話集 「饗宴」に詳しく記載されている。
(プラトンはソクラテス42歳の時に生まれている。)

戦争に参加する以前は、もっぱら自然に対する知的な欲望が強かったが、この三度の戦争に
出征し、特に悲惨な戦争を戦い抜いて 後半の人生では 道徳など本格的な哲学の道に突き進むように
成ったとされている。
 (参照資料 中央公論 プラトンT  より)

プラトンを始め、現代に至る哲学と呼ばれる学問、思考の方法など ソクラテスが基礎を作った
と言っても過言ではないし、存在はまさに奇跡でもある。

だが、ふと原点に立ち返ると、戦争というモノは、人々が苦しむと言うことにおいては忌避すべき
存在ではあるのだが、その存在無くしてソクラテスの哲学も生まれ得ないと思うとき、
この大きな矛盾をどう解釈したらよいのか?

ソクラテスに限らずとも、戦争というモノが人類に与えた影響は、決してネガティブなモノだけではない。

現在の日本の戦争反対団体の考えには全くのところ ついて行けない。 
自衛の手段さえ待たないことが戦争回避の道などと 真剣に思っているのである。

おそらく、太古の昔から 自衛の手段を持たない民族が繁栄した歴史は皆無である。
それは、ギリシャの時代も今も変わらない。 その戦争がいかなるモノなのか、いかにすれば
少なくできるのか。 論争だけで決着するならよいが、もし自衛手段持たない場合は正論だろうが
間違いであろうが その民族は消えて無くなるのだ。

アメリカ、オーストラリア、アフリカ等の多くの民族が前世紀に消滅した事実が物語っている。
軍隊もれっきとした 戦争勃発の抑止力になるのである。

ソクラテスもこの矛盾を常に抱え込んでいたのではないかと ふと 思った。



2015/06/18 JO7NLI (
sarahu

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