社会(政治)の老化

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老人が政治家になることではない。
組織の運営の老化の話
国や政治が老化するのであろうか?

人の場合は簡単にわかる。
自らの身体的な要求が自ら処理できなくなり
介助 介護が必要になる。 
したがって、思考・要求が自分中心になる。 つまり、他人を
思いやる余力がなくなるとき、 老人になる。

(若い人でもなりうる。)

少々分かりずらいかもしれないが、身体的、精神的エントロピーが飽和し、低下に向かいだすと
老化が始まったと判断していいのかもしれない。

つまり、エントロピーの低下が老化の目印となるが さて 政治的なエントロピーの
低下とは何を意味しているのであろうか?

その前に、なぜ政治の老化を問題にするのかを明確にする必要があり、それは
老化の先に待っているものは、 死  。 政治が死ねば、もはや
そこに、大国家も、州も、町も 存在しえないことになる。
つまり 無政府状態 カオス的な 世界が 残され。 エントロピーゼロの状態から
再出発である

残されたものは、適者生存の自然の大法則だけなのである。

そんな世界はどなたも望みはしないが、現在の状況を冷静に見渡した場合避けられないようである。

その道からの逃避方法があるはずであり。 その方法を見つけ出すために
政治、社会の老化について 思考しなければならないと考えるのであり、

また、老化を防ぐ手段があれば等と試行するのである。


さて、人間のエントロピー低下とは

 人間に限らず、生物は生まれたその時から、外部の食物や経験値を大いに
吸収し、エントロピーを増加させている。 ただし、エネルギー(食物)は生命の維持のために
体内組織のエントロピーを低下させる。(熱変換のため)

また、反対に、生命維持のために、多くのものを取り込み、病気やけがに
備えて、抗体など準備する。エネルギーとは別に抗体エントロピーの増加である。
エントロピーが高いほど抵抗力がある体になる。しかし、生命維持にはエントロピーの
低下が必要といった生命の矛盾もある。

このサイクルが正常に動作しているうちは、老化とは言わない。
しかし、気力がなくなり、運動も食事も減少すると エントロピーは飽和に向かう。
新しい、インフルエンザなどになると、余力無くもう駄目になってしまう。

もちろんその時にはエネルギーのサイクルも不調なため、不調に拍車がかかり
くたばる方向にむかう。 このサイクルに至ると もう戻れない。

一つだけ方法があるとしたら、恋 かも?

政治のエントロピーとは

多くの人間の知恵が社会全体のエントロピーを増加させ、人間の抗体エントロピーと同様
に社会の不条理や、悪に対して浄化作用をもたらす。
しかし、老化が始まると、多くの人間の意見を聞き入れる体力がなく、ごく少数の
人間の思考で政治がおこなわれ、エントロピーは飽和しだす、すると、社会情勢の急変
等への対応は不可能となり、悪化のスパイラルに陥り、やがて、社会の崩壊(無秩序)へと向かう。
秩序の崩壊も、高エントロピーなのであるが 優劣つけられない状態の高エントロピーは
秩序の崩壊になる。

かんたんなはなし、健全な社会の維持には多くの価値観(多様性)が必要である。 生命の維持には
地球の生命に多様性が必要不可欠なのと 全く同様である。生命維持と同様の片方でエントロピーの
増加 片方で低下といった循環が必要不可欠なのである。
神様が作った 自然の中に不必要なのもなどない。

人が作った社会において
最良な政治を選択するには社会的に多くのエネルギーを必要とする。
(和をもつには ) 
結論を急ぐなら そのエネルギー(金 $)を惜しめば 社会は終了に向かうのである。
一点集中も同じことだ。

その兆候 は 孤立主義で一点集中だ。  現代科学の欠点は科学が狭窄していることにある。
狭窄した判断は自らのエントロピーを下げることができるが、周囲は高エントロピーなのである。
従ってヨーロッパの難民問題を繰り返すこととなるのは必然であろう。

これだけ狭くなった世界では
孤立主義は 死を意味する。 そんな思考を試そうとするのが ナメリカの

爺さんのやろうとしていることのように思える。しかし、人間も老化、政治も老化している
結局楽して稼ぐ方向にすすむ、まるで蟻(あり)が糖尿病患者のおしっこに群がるように
じいさんの付近ににじみよる  しかし、この爺さん(政治的老化)の寿命は長くなく
結局アリも運命共同という幕引きなのではなかろうか!!?

終局的に、エントロピーを簡単に下げて活力を取り戻す簡単な手段?   
 一つの方向を人々は見出す。

    「 戦争以外ない 」  と!!