「科学は新しい神だ。」とおっしゃった方のお名前を忘却したしまったが、
たしか、
ニュートンかエジソンだっと思いますが、
とにかく
昔の方々は自然界を眺めたとき、自然現象はいかにも秩序正しくなりったっているように見えた。
そしてその秩序を見つければ萬物の成り立ち、そして未来もわかると思った。
そして日本ではそれを科学という名前を翻訳した。
素晴らしく機械が発達して一秒間に足し算を何億回もできる機会を作るに至り
世の中の出来事を瞬時にして分析できるまでになった。
今 AI(人工知能)と呼ばれるいかがわしい器械の出現までに至った。
そして、科学者と呼ばれるこれらの物を作り出した人々も含め人々は
「その神様は正しいのか??」
ちょっと前に水洗トイレとガンの発症の話を書いたが、簡単に言うなら本当のがんの発生より
排泄物を見る可能性が増えて観察することによる精神的な負担でのがんの発生が増える
といった現象になる。
心が病むのである。
そんなこともある。
また、量子論の発見により自然現象は私たちが考えているよりもっと奥が深く単純に一つの理論
で未来が予測できるよなものでは無いことが分かってきた。
その代表的な考え方がバタフライ効果と呼ばれている。
小さな蝶が飛ぶ立つときに起こすほんのわずかな風 この風がやがて大嵐に発達する。
さて予測するには?? 蝶をすべて監視?? 不可能である。
これらの現象を短い言葉で表現するとすれば
演繹法 (少ない事例から法則を決める) と 帰納法 (多くの事象の経験から判断)
現代は演繹法的である。
科学者は残念ながら人間である。千年の修行をした坊主も目の前にビフテキ(美女)が現れると
妄想でとわかっていても飛びつく衝動にかられる。
科学者の責任ではない。しいて言うなら神の責任である。
少ない事例というか 自分の論に適した現象を探せば自分の築きたいべバルの塔はいとも簡単
にできそうに見えるのである。
そして演繹的(数式や選択された事象)に表現されると大筋無知の大衆は振り向く。
しかし、故事にあるがごとし その塔は完成しないのである。
はかない(墓無い)理論として忘れ去られるのであろう。
dasoku
コンピュータ(昔はオートマトンといった)と原爆の黎明期に大いに貢献した数学者ノイマンは
何のためにこの機械を作るかという質問に
「バベルの塔の復讐 リベンジュ アゲンスト オブ ゴッド だべ。」」
といったとか
つまり、神さまはその時 世界の言葉を7つに分けたとかでそれ以来戦争が絶えない
従ってもとに戻すため翻訳機が必要と考えたらしい。
エンド
2024/02/02