相対性理論

ご存じの通り、アインシュタイン先生が考えたこの式。
実は  自然科学から人間に対しての結論と思われてしょうがないのは私だけでしょうか。

E = mC
      E:エネルギー m:質量  C:光の速度

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エネルギーは光速の二乗に比例すると言う意味です。
しかし、普遍的意味ではないことだと、理解するまでに、相当の時間がかかりました。
数学的に理解するのではなく、自然科学的(単に科学的)に理解するのは面倒でした。
つまり、この公式自体相対的なのです。
相対的とは絶対的な基準が無いと、解釈しなければ成らないということです。

貴方が観測したエネルギー、私の観測したエネルギーで質量が、この公式で計算できますが、
その結果は同一ではないのです。
解釈方法(公式)は普遍的なのですが結論は相対的で結論は違った物になるのです。

勿論、観測者が同一条件なら結論は同一です。
これは物理学の公式なのでありますが、人間界、動物界でも同一なものなど存在しません。
従って、全てに置いて同じ物など存在しないと言うことに成ります。
ただ、絶対的な速度は 光の速度という 事になります。
勿論、それ以外の物は変化します。  言い忘れましたが、光の速度は真空中の速度です。
多くの科学者がそれを証明しているのであえて説明しませんが、そうなっているのが私達の住んでる
世界としか言いようがないのです。
物体のエネルギーを計れば質量が分かるし、質量を計ればエネルギーが分かるが同時に測定はできません。
そう考えると、人間そのものではないでしょうか。
同じ者は居ない。人を見るとき、エネルギーで見るのか、質量で見るのか。
地位で見るのか、財産で見るのか、地域で見るのか、年齢で見るのか、性別で見るのか?
一つの条件以外では計測不能なのです。 他の物は常に変化しています。
従って、貴方は人を見るときに、どのような解釈で計測するのであろうか?
時間や季節、年齢が刻一刻と変わるとき、一体人の善し悪しなどはどこで計測するのであろうか。
人は、同一な者は無いと理解した上、何らかの解釈(計測)をしなくてはいけない。
しかも、その結果は、自分との相対的な意味でしかないのです。
「いや・・・みんなそう思う。」などと言った解釈は無意味です。 そんなに同時に計測し得ない。
あくまで観測者である自分との対応のみが有るだけです。しかも、その自分でさえ日々刻々と変化している
存在なのです。
そんな小生が人を、評価できるであろうか? 相対的な意味では体重で? 年齢で?評価してもいったい何
の意味がアルのだろうか。
唯一、評価するとすれば、スキか キライか  しかない。
それが、果たして科学的なものなのか。  そんな訳はない。  はっきり言って非科学的なのである。
科学的という意味は、論理的説明し得るかなのでありまして、私の感情など科学的に説明し得ないのです。
結局のところ、科学の正反対、情緒とか感情と言ったものなのであります。
最終判断は、自らの感情や情緒が全てを判断する素になるように思います。  人の善し悪しや物事の
可否。
しかし、その判断の素となる、自分が混沌としていたり、矛盾に満ちていたら、一体どうなるのでしょうか。
自分で自分の存在が認められなくなるでしょう。
ウイスキーの時と、焼酎の時と 違った結論になってしまう。
その判断基準である自分が、「自我」と言われるものです。
英語では「パーソナリティ」  又はID(アイデンティティ)です。  それは死ぬまで求め続けて
恋、こがれなければならないものです。
聖書は端的にものがったっています。
「人はパンのみに生きるにあらず。」   自我は、パンと同じ、人間には必要不可欠なものなのです。
そして
「人を傷つけるのは、口から入るものではなく 人の口からでるものです。」

そう思って、人を見ることができる。 そんな人間に成りたいものです。

的な解釈をしよう。

(キリスト教的な判断ですが。)

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