西洋自然科学と東洋自然科学
第一部 それぞれの特徴


西洋自然科学の場合

現代人の多くは、
(ギリシャ’神話’時代から)
神様の造った自然は美しい方程式に表され、機械仕掛けで動いていると信じて
その
原理、規則を探求した。そして、その仕組みを文明という形で自由に利用した。
それは
西洋科学の基本的な考え方だ。
自然万物は人の為に利用できるもの、であると言う信念に基づいてである。
だが、
確かに人に必要なものは自然の中にあり、利用できるのであるが、自然界の法則は
単に人にとって有益な、と言う
一方的なものではない。 
それは西洋科学も始まった時代から
知っていたのであり自然(神)の最も重要な
法則であり規則なのである。

この世で最も
基本的な原則は、素粒子に至るまでパリティ(対称)になっていることである。
対称性というのは何も電荷や素粒子の回転方向(今は色もある)だけではない。

文明の明るいLEDの光や原子力の電力は魅力的で便利であるが、それだけではなく
その裏面には
負の部分も同程度存在すると言うことを忘れているし、思い出そうともしない。
便利に利用できるのは一時なのだ。

また、完璧に設計されたダムも時間とともに土砂がたまり土砂であふれ、自然の
法則で崩壊し大きな災害となるのである。
それらのことは人知で防ぎようがない事なのである。
(永遠にメンテナンス等不可能。)

人は神ではない、従って未来を予知できず突然起きる天変地異など知るよしもない。
西洋科学の始祖の方々ご存じであったが、
その後の科学者、哲学者は神の御業も
法則が分かれば予知できる。何故なら自然は機械仕掛けであり、仕組みが分かれば
自然界の出来事など全て人知の知るところになると判断した。
それが現代まで続いた西洋科学の基本哲学である。

だが、現代になって少しばかりの人は気づいた。
自然現象の仕組みは知ることはできるが、制御又は予知はできない。
また、数学で表現できる範囲は所詮バーチャル(仮想)現実ではないかと。

勿論科学は有る程度 仕組みは分かる、従って事後の説明は可能だが予知はできない
のである。

それは、人間が作り出した数学というものでは完全に自然を表現することは不可能なのだ。

量子論が前世紀で発見され素粒子の挙動はプランク定数に関わった確率、又は波動
でしか分からないlことが証明された。
極端な話し完全な結果を予測しない。
サイコロの目当てと変わらない。 小生にはこれが
西洋科学の求めていた数学とは確信がもてないし目的に達しない。
かの相対性理論の先生と同意見である。 
何故なら、
ミネルバの神も、いざなぎの尊、モーゼの神も結果を知っているのに である。
(結果が有るからである。)



東洋自然科学の場合

自然は神様 (天からのさずかり) そのもであり自然に手をつけることは必要最低限とし、
自然は守らなければならない原則が存在した。
さらに自然の観察から対称性を認識し 
陰陽(おんみょう)で表現した。

         
           (対極図)


木を一本切るにもその業により負の御業が必然であると言う危惧が強かった。
自然を恐れ敬った。
従って西洋科学のような万物は
を生きている人のために有るとは発想しなかったのである。
西洋科学がそう歩んだのは、ギリシャ神話や哲学の影響は多大であり、
拍車をかけたのが新約聖書であることは疑いがない。

聖書そのものと言うより、その解釈なのであるが、基本的な部分は宗教革命後も
変化がなかった。

文明の急速な発達と言った面でとらえると、東洋自然科学は遅れる。
つまり富をため込むと言う意味においてであるが。

しかし、
西洋の産業革命はヨーロッパ中の森林を燃やし尽くした、そして今は化石燃料や原子力
を燃やして枯渇させようとしている。

東洋では近代まで、つまり西洋文明が入るまで陰陽の思想があり森林を全て切り尽
くすなどあり得なかった。 

この認識は明治維新前の我が日本においても根付いており良く理解されているが
西洋文明の流入で心の奥には残しはしたが、その
拝金主義という麻薬
誘惑でそれを抑制する事はできなかった。

愚痴をいってもしょうがない。

そのように50年前ぐらいまでは、自然信仰のおかげで西洋に比べると自然環境が残ったのは
確かである。

東洋の自然科学は多くの分野にあったはずが、今では、日本の明治維新、敗戦、中国の文化大革命、
改革解放運動等で大きく西洋科学によって消し去られた。

しかし、医療分野には残っている。
西洋医学は高額な医療費がかかるのに対し東洋医学は(東洋においては)
多くの場合安価なのである。
今でもその伝統は守られているが、しかし西洋医学者にかかると、とても高額に成って
しまうのが残念である。

例としてあげるなら、
小生の股関節の痛みを西洋医学医師に検診した場合。
レントゲンやら何やらで数万円かかった。(保険があるので1000円程度)
一週間でも
全く直らず。

針医者 500円実費
  わずか10分程度で、すぐに歩いて帰った。
西洋医術では全く直らなかったが、針医者は瞬間に直すのである。
(運も良かったかも、後に反対側の股関節の痛みは一週間かかった。)

治癒の有無はともかく、東洋医学では痛みの原因、原理は探求しない。
不具合はバランスの崩れで有るからバランスを元に戻せば元の健康な
正常な状態に成ると確信している。

これと同じように、この大自然もバランスが保たれてこそ安泰である。
山の木々と海の草や生き物とのバランス、日照りと雨降りのバランス等数多く
そのたぐいの伝承は有ったはずだが今は失われている。

少しばかり西洋自然科学も気づいてはいるが、問題の解決に
原因究明を
優先する発想(モデルの構築)
は解決先延ばしにする。
それは東洋の自然科学とは大きな違いがある。

皮肉にもギリシャ神話では、プロメテウスが人類の始祖であり、
その意味は
「事前に考慮する」と言う意味なのだ。
だが、実際には二番手のエピメテウス(後で考えるの意)になっている。


人類の生存には大自然のバランスが不可欠である。 
地球という飽和水槽はバランスを崩すとアンバランスのスパイラルに落ち込むことは
必然なのである。

今後、自然に対するバランスの感覚は重要性をまし、東洋の科学が重要に成るであろう。
何かをする前に考えるのは事象全て対称である発想で万事に対応する。
東洋の自然科学を発展させなければ成らないことなのだ。

ただし、残された時間がどのくらいなのかは小生に分からない。

至って短い文章で表現するにはあまりにも大きく複雑な表題であるが
小生の知りうる範囲で表現を試みた。
これも時とともに認識が変わることであろう。
しかし、大きな範囲で両者を認識することはある程度可能と現段階では思う。

誤字脱字が多く失礼だが 無料であることを考慮され、ご容赦ねがう。

2012/11/30




第二部  災害の予測

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両者の違いをまともに論ずれば、一生かかる。自然科学の解釈の方向性のみを探ってみた。

 西洋は割とまとめられ得るが、東洋は複雑怪奇なのと
中国の様に王朝が変わるたびに 文化財を壊滅的に破壊することなどから 本当の実態は皆目見当もつかないし
政府で言ってることは、ご都合主義で全く歴史とは無関係である。

よって、ここで言う、東洋は王朝の歴史が2000年続いている日本を東洋科学として 東洋をいっぱひとからげ
とした。  日本は多神教であり どこの国の神様も 八百万の神々に含めて 仲良く暮らすので
日本を探れば およそ 東洋の価値観がわかる。

イスラム圏は古い文化があるが ある時からコーラン
(基本的にキリスト教の焼き直し)の影響で科学的な
進歩は西洋追従のように思われる。(独断と偏見です。)

特に、東洋は基本的な文化として、キリスト教が浸透していない 西洋の科学には あまりにも宗教の影響が
大きすぎる。 逆に言うと 日本は神道の歴史が何千年も染みついているので、西洋人の一神教から見ると
頭がおかしいとも思われる場合が たまにある。(ギリシャ宗教も同様なのだが。)

2=1+1 ∴ 1+1=2 神の御業!!

かわいいやつだ!
みみずが食いたいか?
アースクイックかい?

私にできないことはない!!
    
科学は 新しい神だ!!

人は自然の一部に過ぎない!!
エジソン君、君は滅び行くバベルの塔の基礎を
造ったのだよ! 

科学は神を越える!
 おれは
ミミズはきらいだ。

簡単にアニメーションにする

選挙じゃ!!
庶民よ
もの モーセよ

(て ちゅがく せっちゅうに)

和を、わわわ!!
  まっ まるくおさめて!!

#$○△&&%$#!?

近代

古代

主に日本の東洋科学との比較だす。 なにせ 当方は日本のことしかわからんのです。